JOURNAL 

    とある工場の仁義ある戦い VOL.2

    第2話 出会い、死の選択、そして

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    2023/07/08

    千切れた牽引ロープは今も工場の奥に置いてある

    筆者とA社長の出会い


     これは、とある工場(本連載ではこの名称で統一している)が自動車補修業界で生き抜くための戦いの日々を記録するノンフィクションである。


     前回、実家のガレージで開業後、引っ越しをしたとある工場が、離婚を機に廃業し、80円からの再出発をしたことを紹介した。
    そして、最後に就任早々から仕事と多額の支払いに追われ、軽度の精神病を発症、自殺未遂を図る手前までを記した。

     今回はその話の前に、まずA社長との出会いから紹介しようと思う。7年前の2014年。当時、筆者は営業として鈑金塗装顧客管理ソフトを販売していた。その営業先の一つがとある工場だった。

    車が2台しか入らない家のガレージを工場と呼び、そろっていない工具類で細々とクイックリペアをするA氏の姿を見て、「ここにはソフトを導入するメリットがなく、安くないリース代も重荷になる」と思いながらソフトを紹介したことを思い出す。

     それから1年後、再び連絡があり新しい住所を訪れると、オートバイ修理工場との折半とはいえかなりの広さの工場となっていた。
    「この規模であれば導入のメリットもあり、安くないリース代であろうとやってもらう価値はある」と営業マン特有の手首がねじ切れるほどの手のひら返しをし、A氏にソフトの導入を決意させる。

     しかし、2015年当時のとある工場の社長はA氏の妻である。「頼む。家まで来て、嫁を説得してくれ」。そう言いながら頭を下げるA氏を前に、「え、それはご家庭の問題でしょうよ」という気持ちをおくびにも出さず、笑顔で快諾した筆者の営業努力を褒めていただきたい。

     日の差し込む明るいリビングに通され、幼児向け番組を夢中で観る子どもたちを背に、目の前にいる警戒心丸出しのA氏の妻に対しイイ歳した男二人が脂汗を流し、
    肩をすぼめながら説得して契約にこぎ着けた姿は滑稽だったろう。しかし、これをきっかけにA社長とは仲良くなったのである。

     その後、筆者は営業部から編集部へ異動となり、しばらく疎遠になっていた。3年ほどの期間が空いたころ、突如A社長からの近況報告(離婚、自殺未遂)の連絡をもらい、承諾をもらった上でそれらを本誌2019年5月号特集「工場たちの不安」で紹介した。この取材をきっかけに再び関係が密となり、この連載を始めることになるのだが、A社長がここまで赤裸々なノンフィクションの連載を許可した思いはまた別の機会に紹介する。

    生きている意味が分からない



     温かい日の光、気は強いが笑顔が可愛らしい妻、元気いっぱいに「こんにちは」と挨拶をしてくれた子どもたち。独身の筆者にはそれがどれだけまぶしく見えたことか。
    それは文字通り絵に描いたような明るく楽しい家庭だった。

     しかし、その家庭はなくなってしまった。A社長にとって失ってしまった家庭は、仕事の支えであり生きがいだった。働き過ぎが離婚の原因だったが、A社長は仕事の手を止めない。
    支払いの催促と仕事の納期に追われていたからだ。離婚前と変わらない残業の日々を過ごしていた2018年夏。A社長は牽引ロープを工場の高い位置に取り付けた。遺書を書くこともなく、A社長は牽引ロープを首に巻き、足場から飛び降りた……。

     目が覚めるとそこは病院だった。連絡がつかないことを心配したA社長の姉が工場を訪れ、そこで千切れた牽引ロープを首に巻いた弟が失神して倒れていたのを発見し、救急車を呼んだのである。頑強な牽引ロープが千切れるという奇跡のような出来事によりA社長の自殺は未遂に終わる。

     2日間の入院後、仕事への責任感から再び工場に戻るが、作られた笑顔で仕事を請け、夜遅くまで作業をする日々はA社長の心の回復を許してはくれない。
    首についたロープのアザが消えかかるころ、A社長は再び自殺未遂を図った。郊外の林の中に停めた自家用車の中で大量の睡眠薬を服用したのである。

    しかし、あまりの苦しみから助けを求め、警察に保護されると、再び病院へ向かうことになる。サイレンが鳴り響く救急車の中でA社長は泣いた。

    「なんのために働いているのか分からない。生きている意味が分からない」。



    使用した自家用車は自戒の意味をこめて残したままである

    救ってくれた女性の存在


     入院時、自殺未遂をした人間は再発を防ぐため拘束されることへの同意書(身体抑制に関する同意書)を書かされる。拘束されながらの1週間の入院生活を経て、実家へ戻ったA社長は「死にたい。死なせてくれ」と泣き出すようになっていた。そして、文字通り死ぬ思いをした睡眠薬での自殺未遂のショックで車に乗ることもできなくなり、工場へ行くことができなくなっていた。

     数日後、A社長の両親とも面識のある古くからの友人であるBさんが実家を訪れ、A社長の引き取りを申し出てくる。両親も環境変化によるA社長の快復を期待し、その提案を受け入れ、Bさんとの共同生活が始まる。
     Bさんは養護教員をしており、その経験を活かした献身的なサポートをした。ある日、Bさんが仕事から帰ると部屋の隅でA社長はいつものように「死にたい」と泣いていた。

    その姿を見たBさんは泣きながらA社長を説教したという。その時の様子を思い返しA社長は「どうして自分のことでもないのに、この人は泣いてくれるのか。
    こんな人を泣かせていいのか」そう思ったという。


    身体抑制に関する同意書と診療明細

    精神的どん底からの復帰


      「これで死んだら、オレはクソだ」。今ここで死んだら悔いしか残らないと思い直し、社会復帰を目指し始めたA社長。
    車に乗れるようになるまでの期間は毎日Bさんに工場まで送り迎えをしてもらい仕事を再開した。やがて車にも乗れるようになると、Bさんへ感謝しながら共同生活を終わりにした。

     マンガやドラマであればここでA社長とBさんは恋愛関係になるだろうが、これは仁義ある戦いである。A社長は「Bさんには性別を超えた友情を持っている。二度の自殺未遂をした自分を救ってくれたBさんには感謝しかない」と話す。Bさんは現在、別の男性と結婚し、幸せな家庭を築いているそうだ。

     A社長は話す。「人はいつ死ぬか分からない。それならば1日を悔いがないようにやりきるようにしたい。運命なんて信じないが、牽引ロープが切れたことも何か理由があったのだと思う」と。

    再びこの仕事に戻った理由を聞くと、「子どもみたいなことを言うけれど、仕事のせいで嫁に捨てられた。でも、その原因となった仕事をまっとうして、いつか嫁に褒めてもらいたい」。

     次回は、A社長の復帰後の苦労、そして銀行口座から見るとある工場の動向を追っていく。

    車内には当時服用した睡眠薬が落ちていた

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