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<小説>鼓動 もう一つのスクープ(第5話)
2021/06/23
BSRweb小説企画第一弾
業界記者の視点で描く、自動車業界を題材にしたオリジナル小説。
(第1話へのリンク)
※この小説はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
第5話:経営陣と労組の確執
メモ帳には大手・朝日自動車の重要な事項がびっしりと記述されている。「これは凄い、まだ自分の知らないことばかりの情報が詰まっている。モノにしない手はないな」
さて、朝日自動車にどうして事実を聞き出していくか、としばらく思案した北沢はまず同社首脳にインタビューした名刺を取り出し、協力を得られる人物を二人選んで接触を図ることにした。まず、朝日自動車に強い影響力を持っている労働組合の菊田明会長に会うことに。
面会して、黒川のメモに載っている朝日自動車と栄光自動車との合併についての真偽を菊田会長にぶっつけた。すると思いもよらない明快な返答が返ってきた。
「今進めている朝日自動車と栄光自動車の吸収合併計画はヒドイ話だ。合併が成立すると、吸収される栄光の人員削減が始まるだけでなく余剰工場の閉鎖、それに系列販売会社の再編成は必至。こんな合併、認められますか」と、一気に核心の部分を語る菊田会長。
合併を破談させたい意図が明らかで、マスコミに情報を流すことによって自分の立場を有利にする魂胆が見え隠れする。しかし、菊田会長の話だけでは心許ないと判断、もう一人の人物、朝日自動車の国内販売担当の飯島芳正常務宅に夜討ちを掛けることに。横浜市内の小高い場所の閑静な住宅街にある平屋の自宅に足を運び、本人の帰宅を待った。30分ほど待っていると運よく本人が表れ室内に招かれた。応接室に座るとすかさず来意を告げ、「栄光との合併話は本当ですか」と単刀直入に聞く北沢。
「やはり漏れていましたか、情報源はだいたい分かりますが。もう少し時間が欲しいが、仕方ないな。両社の従業員に正式に合併の詳細を説明していないし、全国にある工場や系列販売店の施設をどう再編するのか、まだ決まっていない問題が山積しているよ」と半分あきらめ顔で語る飯島常務。
合併の進行状況が詳しく分かってきたので毎日自動車新聞に『朝日自動車と栄光自動車は合併する方針』と題して寄稿する一方、田村と知人のカメラマン中沢真次に依頼していた労働組合の菊田会長の動静が分かったため、『朝日自動車と労働組合の光と影』を週刊トップ用にまとめた。
週刊誌には特に菊田会長に焦点を当て、豪華ヨットに乗っていた若い女性とのツーショット写真とセットで端的に書いた。週刊誌が発表された途端、大きな反響を呼んだ。やはり一般のメディアとその大部数がモノをいう世界。一般メディアと業界紙の影響力の違いをまざまざと証明した形になった。
この大きな経済事件とスキャンダルが収まりかけた時期に今度は朝日自動車がヨーロッパに進出する計画が持ち上がっていた。これには労組の菊田会長が再び猛反対する事態に。
「これは経営側の専管事項であって、労組が口を挟む事柄ではない」と経営陣営を代表して久米孝二社長が一般的な常識を強調する。
同社の久米社長の発言に対して、「経営状況が厳しい中で、我々が会社の行く末を心配するのは当たり前。ましてや今、海外に直接工場を作って乗用車を売るのは冒険ではないか。だから直接経営に関しても進言しているのだ」と強気の姿勢を崩さない菊田会長。
朝日自動車は海外進出を時期尚早と声高に訴える社内の根強い反対勢力を抑え、ヨーロッパに進出する決定を下した。本格的な海外進出は朝日自動車が初めてのケースになるため、競合他社とくに帝都自工の海外戦略に大きな影響を与えたようだ。米国メーカーと提携し、複合工場をその後に建設する参考となった。
<筆者紹介>
中野駒
法政大学卒 自動車業界紙記者を経て、自動車流通専門のフリー記者兼アナリスト。業界歴併せて40年。
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