JOURNAL 

    #1 粉すけ とび職から血尿退職まで

    ~編集長が行く~

    • #一般向け
    • #その他

    2022/05/02

    子供がいなかった実母の姉夫婦に養子として出された幼少時代。
    小中学校時代も先生からは理解されず、親には友人を否定されてきた
    高校には進学せずほぼ家出状態、当時入り浸っていたゲームセンターのアルバイトとなって働き始めるも、興味をもった車購入とその維持費がまかなえず、取り急ぎガス溶接の資格を取得した。

    バイトを辞め、資格を生かすとび職となるも親方からのパワハラを受け退職(1回目。

    粉すけ談
    「車の維持費をゲーセンのバイトだけで乗り切るには限界があって。稼ぐなら力仕事かなと思って、たまたまガス溶接の資格が時期的に一番近かったので取得しました。
    パワハラが主な退職理由ですが(笑)」


    自動車整備工場で整備士の仕事を希望するも毎日8時間ひたすらトラックの溶接を1年間繰り返したため退職。(2回目

    粉すけ談
    「はじめの自動車整備工場では1年くらいかな、働いたのは。 総支給で月15万くらいだったかと。朝礼は8時00分から。1日中溶接8時間。そうそう、初めて見たトラック用のインパクトレンチってでかいんすよね。半自動溶接機をよく使ったなあ」


    希望する自動車整備の仕事をするため整備工場に転職。
    しかし激安の給料に絶望し、給与明細をTwitterに掲載。勤務先の社名がさらされ、当時かなり「バズッた」というが、掲載について上司の癇にも障った。激しく詰問されながらも辞職はするなと言われて余計に怖くなり退職(3回目

    知人の整備工場に転職し、改めて整備士として再スタートを図ろうとするも結局トラックの溶接業務を任された。整備業務の機会を与えてもらうことは少なかったものの、ここで溶接の楽しさを覚える。しかしそれもつかの間、人間関係のトラブルで退職。(4回目

    粉すけ談
    「トラックディーラーの社内外注として働いた整備工場では、トラックの溶接に明け暮れていましたね。社内外注でマフラー溶接とか繊細さも必要な薄物の溶接もできるようになりました。溶接の楽しさを覚えだした時期だったと記憶しています。給料は手取りで18万円くらいだったかな」


    その後入った新しい会社でも、歩合制なのに仕事が回ってこず、思ったような給料がもらえず退職。(5回目

    前夫紹介の次の勤務先では溶接作業より大型生コンミキサー車の運転業務に明け暮れ、激務のため退職。(6回目
    在職中に大型免許を取得。

    粉すけ談
    「Twitterで前夫と出会って、友達が社長をしている新潟の運送会社でミキサー車の修理の仕事を紹介されました。行ってみるとコンクリート運送会社。保有しているミキサー車は4,5台程度。修理はすぐに終わりました。社長からは、大型免許資格の取得を指示され、ミキサー車の運転を頼まれました。ほぼ業務は運転になりました。
    ミキサー車の運送業務は想像以上に激務でした。体調を崩し、血尿を出しても通院許可を渋る会社に恐怖を感じ、退職して福井県に戻りました。結局業務をしたのは3ヶ月くらいかな」


    父の紹介で再び自動車整備会社でごみ収集車やバキュームカーの故障個所の溶接を任され、その仕事ぶりを高く評価されるものの職場で壮絶ないじめにあい退職。(7回目
    在職時には溶接の競技大会にも出場し、除雪作業の資格も取得。

    粉すけ談
    「父の友人が大型車の整備車検事業を営む会社の専務ということもあり、誘われて入社したんです。しかしそこでいじめにあい、会社も対処をしてくれたもののおさまらず、結局退職することになりました。1年くらい勤務したと思います」




    ~つづく~

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